| 「肥前国風土記」は語ります。
これは、弥生時代末期から大和時代にかけてのお話です。
当時の景行天皇は熊襲(くまそ)征伐のため、豊前の宇佐の行宮(あんぐう)に留まっていました。
この一帯の地方には、「土蜘蛛」と呼ばれる大和朝廷には服さない人々が住んでいたのですが、その中に速来村の速来津姫という巫女がおりました。
景行天皇は、神代直(かみしろのあたい)を遣わして彼女を捕え問いただしたところ、速来津姫は言いました。
「私には、健津三間(たけつみま)という弟がいます。健村(たけむら)に住んでいて、美しい真珠の珠、石上神之木蓮子玉(いそのかみいたびだま)を持っております。愛蔵し、決して人に見せるようなことはありません」
この言葉に、神代直が捜し求めたところ、健津三間は山を越えて逃げ、落石峯へと逃走しました。神代直は追いかけてこれまた捕えました。
「確かに2つの真珠を持っております。一つは石上神之木蓮子玉、もう一つは白珠です。献納しましょう」
と、健津三間は言い、続けました。「私のほかに、箆簗(のやな)と申すものがいます。川岸の村に住んでおります。この者も美しい真珠を持っています。極めて大切にしておりますが、この者もおそらく命令に服すことはないでしょう」
今度は神代直は、箆簗を捕えて尋問しました。
「実に有している。貢物として献じよう。もう惜しくない」
このようにして神代直は、3つの真珠を持ち帰り、景行天皇に献上しました。
美しい真珠がこの地方では採れると知った景行天皇は、
「この国は、珠の豊富に取れる国、具足玉国(そないだまのくに)と名づけよう」
とおっしゃいました。
今、この地方を「そのぎ」と読むのは、この具足玉国が訛って呼ぶのだと伝えられています。
ところで、実際、この国には強力な国家があったという証拠があります。
それは、白井川遺跡で見つかった「獣帯鏡(じゅうたいきょう)」の破片です。
当時、鏡は権力の象徴で、同盟を結んでいた国はお互い一つの鏡をいくつかに割ってそれぞれに保管し、同盟のしるしとしていました。
また、4〜5世紀ごろには、ひさご塚古墳が作られていますが、今でこそ、ひょうたんのような形をしているこの古墳は、立派な前方後円墳。この前方後円墳もまた、強力な国家が同盟関係を結んでいた証なのです。
そのぎ地方はこの時代、このように大いに繁栄していたのです。 |