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| 彼杵は古代から、佐賀・有明海と大村湾・東シナ海を結ぶ海陸交通の要衝でした。 長崎の出島に平戸のオランダ商館が移り、西洋の窓口は長崎だけになりました。幕府の役人や長崎警備の福岡藩などの武士たち、またオランダ商館長も行列を作って行き来しました。商人や旅人も長崎へ往来しました。いよいよ長崎街道が重要になり、そのぎ宿も整備され栄えていきました。 寛永10年(1633)幕府の役人や大名が宿泊する本陣を、彼杵神社の場所にその補助として脇本陣を向かい側に建てました。元禄7年(1694)彼杵川の東にあった金谷町を現在の所に移しそのぎ宿(本町、金谷、東町)が出来上がりました。 そのぎ宿には大勢の旅人が宿泊するだけでなく、各地の海産物や農産物も集まりました。五島沖で捕れた鯨は彼杵港に運ばれ、九州各地に送られましたので、大いに栄えにぎやかな港・宿場町(幕末には284件の商家が軒をかさね賑わっていた)になりました。 しかし、明治31年九州鉄道(現大村線)が開通し人も荷物も汽車に変わり、長崎街道の役目が終わると共にそのぎ宿300年の華やかさもうすれてきました。 |
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| 風土記(奈良時代(713)元明天皇時代のときの本)『昔、景行天皇に従臣の神代直が速来村の速来津姫弟、健津三間から二つの美しい玉を、ノヤナという村の者から一つの玉を献上していただき、彼はこの三つの美玉を天皇に献上しましたところ、大変喜びになり「この国を具是玉国(そないだまの国)と名付けよ」と仰せられたのが、今はってそのぎ郡となったのです。』書いてあります。 | ||
| 祇園祭 | 毎年7月の第3日曜日に300年の伝統をもつ祇園祭が八坂神社で疫病よけの願いをこめて賑やかに催されます。 | |
| そのぎ茶市 | 毎年5月に3日間、旧長崎街道そのぎ宿の道筋には、お茶・鯨・陶器・金魚すくい・たこ焼きなどたくさんの露天が並びたいへん賑わいます。 | |
| 花火大会 | 毎年8月16日に彼杵新港にて催され、琴の海(大村湾)の夜空に大輪の花を咲かせます。昼間には露天なども出て、たくさんのイベントが催され賑わいます。 | |
| ふるさと市 | 毎年11月に2日間総合会館にて催されます。農産物品評会・町内企業製品・林業・水産品などの展示即売会などと盛りだくさんの行事があります。 |
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| 新茶まつり | 毎年5月に河川公園にて催されます。各茶園農家から新茶が出品され即売会が行われ賑わいます。 |
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歴史民族資料館 歴史コーナーではひさご塚を通して、古代彼杵の歴史を、文化コーナーでは「長崎街道」を案内し、坂本浮立・千綿人形浄瑠璃・龍踊りの出し物道具を展示しております。 |
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ひさご塚(県指定史跡) 約全長53m県下最大の前方後円墳です。 |
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二十六聖人乗船記念碑 慶長元年1月10日、二十六聖人が処刑の地へ、3隻の船で時津へ船出した地です。 |
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万部塔 町内には宝塔様と呼ばれる千部塔・万部塔の題目塔が、15基建立されています。二代目藩主大村純頼の時、郷中がキリシタンではないことの証明として建立されたものと考えられています。 |
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八坂神社(祇園社) 祇園祭は八坂神社のお祭りです。元禄7年ごろ建てられたものと思われます。鳥居は寛政12(1800)年に建てられました。
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元禄船着場跡 |
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思案橋 堀川の石橋(思案橋)からなる平戸街道(そのぎ〜平戸)となる。思案橋から嬉野へむかうのが長崎街道で、俵町通りと呼ばれていました。 |
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本陣跡 官営10年(1633)役人や大名の宿泊、または休憩所として建てられました。敷地は現在のそのぎ神社と一部そのぎ小学校に張り出した50Km四方でした。今も旧本陣と庄屋の境堀が残っています。 |
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庄屋跡 |
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浜宮さま(熊野十二社権現) 彼杵総鎮守として正保3年(1646)年に、熊野十二社権現の分霊を妙法寺が島田にお迎えして創建されました。元禄9年(1696年)、社は建てかえられました。 |
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安全寺(町指定文化財) 万治3年(1660年)大村純忠によって、真言宗多羅山宝円寺の末寺として再建されました。天正2年(1574年)のキリシタンの焼き討ちで焼亡し、宝暦元年(1751年)6月に現在地に移転しました。 |
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岡遺跡 |
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旧彼杵駅 新彼杵駅(2007・4・1落成)
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白井川遺跡
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上杉古墳群
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