さて今回は、幻の「日見−井樋之尾峠」の区間の街道の紹介である。
どうして今まで、この区間の文章がなかったかというと、実は、長崎街道を歩き始めた当初、文章担当者が決まっておらず、しかも写真の記録がほとんど残っていなかったため。今思えば、最初の一番苦労した話がない、というの惜しいし、長崎街道を紹介する上で出だしの文章がないのでは・・・と、悔やんでいた当一行。
それで、執筆のためだけに、今回、この日見宿から井樋之尾峠までを再び歩き直して来たのである。
2007年7月某日。夢仕掛け人遊撃部隊、京極ひろうみ氏及び春野ぱせりの2名は、長崎市の旧日見トンネルのすぐ近く、芒塚(すすきづか)に降り立った。
忘れもしない一番最初のウォークで昼食をとった公園のすぐ近く。現在、高速道路の芒塚ICになっている地点から歩き始める。
「ぱせり君。僕は、歩いている途中で無理だと思ったら、すぐウォークを止めるからね」
隊長をしてそう言わせるのも無理もない。梅雨明けから連日、35℃を越す猛暑日の連続。蝉も鳴きながら昇天する中、下手したら、熱中症であの世行きとなりかねない。実は、夢仕掛け人の中でも、山歩きの好きなこの2名。夏の街中を歩いているのにもかかわらず、ノリは完全に冬山登山である。
芒塚から、日見宿に向かって歩くと、途中にはいくつか観音様がある。手元の資料によると、その中のどれかが「歯痛観音」というらしい。・・・のだが、どれがその観音様なのか、二度目のウォークである今回も結局わからなかった。


たぶん、どれかが歯痛観音だろう。
お墓を右手に見て、階段を下りる。実は、この分かれ道がわからなくて、日見小学校まで歩きすぎて、あわてて引き返したのだが、この分岐点は、本当にわかりづらい。2007年7月現在、歯科医院があるので目印にするとよいだろう。
この付近、3年前と違い「長崎街道」の手製の看板があっちこっちに増えている。歩く人はかなりの参考になるだろう。しかしそれにもかかわらず、この分岐点がわかりづらいのはどうしたものか。

江戸時代、梅雨に日見川が氾濫して、かち渡りができないのを、地元の酒屋で飛脚の「三国屋」の五郎七が泳いで渡り、代官所に書簡を届け、その褒美に建てられたという「三国橋」。それを渡ると、50メートル右に、「日見宿」の標柱がある。

建物の一角に食い込んでいるので、見つけにくい標柱だが、注意深く振り返れば、見つかるだろう。
そこから小道を国道に上がると、「腹切坂」がある。

「熊本細川侯の家臣某、長崎より熊本への帰郷の際、つづれ組の高名を聞き途中一手の試合を申し込んだ。その結果は、意外にも武士は破れ、その昔は、武士なれど今は町人の作右衛門の某術に凱歌が揚がった。彼の武士は、如何にしても無念、やる方なく宿部落を見下ろす場所で、武士の面目上とうとう腹を切って果てた。村人は、哀れに思い、この武士を丁重に葬ったのである」(腹切坂の案内板より)
他にも、この坂で切腹した史実も残っている場所でもあるそうだ。
腹切坂は、この先、アパート近くの階段を上る。

上りきると領境石標があるので振り返ると、東長崎の市街が臨める。

高台をそよぐ風に、体を癒しながら、道を濱大王神社に向けて降りていくことにする。
その濱大王神社にて最初の休憩をとった15分間、ともに2名の携帯電話が同時に鳴り響き、仕事の電話が入るというアクシデントに見舞われる。
5分後、矢上の番所跡、矢上八幡神社を通過する。

写真は撮れなかったが、矢上八幡神社の2本の大楠は、市の天然記念物に指定されており、350年の歴史のある神社より以前から、この地にあったと思われる。
10時30分、矢上宿跡に到着。

日見宿と矢上宿の距離は、わずか約一里(4km)しかない。これは、長崎街道において、省略されず明記してある中では、今まで一番短い宿間の距離ではないだろう。(文章を執筆している段階では、小田宿まで)。なぜ、矢上宿ないし日見宿のどちらかが省略されないのかは推測するしかない。矢上宿が日見と違い、鍋島藩諫早支藩の支配地であったことに関係があるのではないだろうか。

10時40分頃、役の行者神社を通過する。屋根は最近建てられたもののらしく、新しい。記憶でも、3年前より新しくなっていた感じがする。
役小角は7−8世紀、大和の葛城山にいた呪術師で、陥れられて遠流されたため、日本各地にその伝説がある。日本の山岳信仰界において有名な人物である。ここで、珍しい3面の菩薩があったので、思わず、写真を撮る。

ここから、2名はあまりの暑さのため涼を取るため、川岸を歩いていく。

だが、後日振り返ってみると、この付近でどうやら、長崎街道から500メートルほど離れてしまったようだ。本来ならば、もうひと辻山沿いの道に、札元殉教地の近くを通過するルートがある。札元殉教地では、天正少年使節の一人、千々石ミゲルの父が処刑されたとされている。

11時19分。キリシタン墓碑のある福瑞寺にて、休憩を取る。近くに保育園があり、境内から2名に手を振ってくれる子がいて、しばし心を癒される。

11時40分。古賀の藤棚にたどり着く。青々と茂る藤の木陰に、思わず立ち止まってしまった。振り返れば、3年前は冬。こんな藤の姿を見るとは思わず。あと一か月半早ければ、藤の花が見れただろうにと残念がらずにはおれない。ここで、偶然、この家のご主人が庭木の手入れをしている所に出くわした。二、三言挨拶を交わしたが、やはりこの炎天下の中、街道を歩く奇特な2名に、かなりもの珍しさを感じられた様子だった。

そして、午後12時のサイレンの中、井樋之尾峠に到着。木陰で一息つきながら、隊長から 「今日は、記念日だねぇ」と感激の言葉をいただく。
隊長、本当に記念日ですよ!この炎天下の中、苦行にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
これで、長崎街道、日見宿−井樋之尾峠の区間のルートはなんとか補完できたと思う。一度歩いたコースだったが、3年の間に変わったもの、以前は歩かなかったルート、さまざまな新発見は価値のあるものだった。
無事、長崎街道を踏破できた暁には、印象の深かったルートを、またもう一度、個人的に歩き直すのも面白いなぁ、と感じている。
次のウォークは、小田宿の続きから。
2007年の秋に歩く予定なので乞うご期待!
・・・そうですよね? 隊長?
行程時間:2時間52分(休憩時間のぞく)
文章:春野ぱせり